新潟県中越沖地震関連情報

2007年7月16日(月)に発生しました新潟県中越沖地震関連の情報として、日本聖公会中部教区の長岡オープンスペースからのニュースを中心にお知らせいたします。なお、このページは暫定的なものです。

2007年7月16日「新潟県中越沖地震」現地リポート第7信

8月1日発信
■ホットライン
 7月28日(土)、3回目の被災現地入りです。<災害粗大ゴミ出し時間AM6:00〜8:00までに>との市の時間規制のため、早朝5:30に長岡聖ルカOSを出発。この日は「日程の都合がつけば是非一緒に」とボランティア参加の意思表明をされていた、教会員3人とと5人で柏崎に向かった。一輪台車も持って行きました。7:00前にはSUさん方に到着。SUさんは7月16日震災当日、水を差し入れし、緊急連絡窓口(ホットライン)情報を一早くお伝えしておいたお宅で、早速ホットラインを通じて「28日(土)災害粗大ゴミ出し手伝って下さい。腰を痛めてしまいました。」とTELでボランティアワークの要請が入ったという次第です。一輪台車つきの5人での作業ですから、あっという間に作業は終わってしまいました。「SUさんの知り合いの方で、人手が必要なところは他にありませんか?」ということでYAさん方や教会員の関係者で柏崎在住の被災者TOさん、TAさん、また、二度目になるKAさんと、5世帯の被災者方を訪問し、お見舞いのあいさつをして、わずかばかりのボランティアワークを行なってきました。
■カトリック柏崎教会・白百合幼稚園訪問
 「船の建築士でもある」というイタリア人神父さん(83歳)。自らの設計で、「この教会は地下数メートルまで鉄筋を打ち込んであります。この地震でビクともしませんでした。隣接する幼稚園をはじめ、付属施設は大地とともに1〜10cm沈下してしまいましたが、そこは日本人の建築設計でした。」と。「原発建設には反対でした。でも、出来てしまいました。ですから、ここにはシェルター(緊急避難所)もあります。」と。1階は会議室、事務室、厨房、トイレ、ホール等、2階が高さ約30メートルの鐘楼塔付きの礼拝堂。聖堂内にも、1つ1つに工夫をこらした「仕掛け」設備があり、神父さんの実演操作付き説明が続きました。階下から「神父さまお客様です」の声で、我々もカトリック教会を後にしました。“被災”に関する話しの要約は次のとおりです。
・早くに水道は回復、使用できた。
・被災当日(16日)より地域住民向けに1日1食(昼)の<炊き出し>を始めている。
・信徒、ボランティア、ボーイスカウト等が毎日活動。教会、幼稚園関係の被災者宅へ支援活動も継続中。
・「今日はお見舞い訪問ありがとうございました。」の謝辞を受けつつ先を続けました。
■避難所で子どもたちと
7月30日(月)、震災から二週間目の今日、念願だった避難所を訪問してきました。四回目の被災現地入りです。
柏崎市西山町にある二田小学校(避難所)には全壊〜大規模半壊被災者およそ120人が7月16日以来避難生活を続けています。12:30過ぎに到着し中に入り、学校側と県側の担当スタッフと意見の交換が出来ました。参院選の後片付けということで、市側の担当者は選挙管理委員からの召集で留守でした。避難所での雑感は次のとおりです。
・食事は机、椅子のある食堂で摂っていたので、中越地震の長岡明徳高校(避難所)での食事の摂り方よりよいと思った。(食堂が使えなかったことにもよりますが、体育館の避難している各々の場所まで持っていって、床に座って食べる。周りでは人の動きが慌しく、ホコリが舞っているし、ボランティアが全部動くので、被災者自身が動くことが少なく、運動不足にもつながっていた。)
・電気は回復していたが、水道・ガスが止まったままなので、食事・トイレ・風呂は完全に自衛隊災害救助のサポートで維持、コントロールされている。武器を持たない隊員により、国民の税金が正しく使われている場面だと思う。
・運動場一杯に隊員宿泊(野営)テントが張り巡らされており、子どもたちは運動場では遊べなくなっています。
・1年生から4年生までの6人の子どもたちとおしゃべり、自己紹介、交流してきました。校舎内ロビーで、軟式テニスボールでノック遊びに興じている子どもたち。異様に見える。ガラス窓にはあちこちに「ここから外に出てはいけません」の貼り紙。軍が市民生活を完全にコントロールしている感あり。
 いづれにしても、緊急避難的にここで子どもたちも、保護者、高齢者も一緒に避難生活を送っています。OSの“子どもプログラム”も今日出会った6人の子どもたちからきっと創造されていくことでしょう。