2007年7月16日「新潟県中越沖地震」現地リポート第11信
9月23日発信
■活動最前線でOS拠点フル回転
中部教区HPや当「現地リポート」、また教区報「ともしび」等を通じて多くの皆さま方からお見舞い・激励・お祈り・支援物資・義援金・・・と多大なお恵みを頂いておりますこと、改めて厚く感謝御礼申し上げます。
東北教区の某日曜学校全児童からの<励ましのお手紙と献金>をはじめ、教会、学校、団体、市民グループ、サークル、個人・・・と幅広い方々からの問い合わせ、ボランティア参加がありました。
2007年7月16日地震発生当日のお見舞いと情報収集、飲料水提供等の緊急行動以降2ヶ月を経た今日まで、皆さま方のご協力と協働によりまして、多様な支援活動を続けております。
猛暑・残暑がつづく中、OS(長岡)から被災地に入り、災害ゴミ搬出、被災家屋での片付け、児童生徒との交流、仮設住宅への引越し、それにOSでの宿所提供・交流・・・等を行っています。
◎今回、OSは被災者支援のコーディネートと県外各地から駆けつけたボランティアへの宿所提供と活動の分かち合いを行いました。OSを活用したボランティアの皆さんについて少し報告します。
参加形態は単身参加から12人組のグループ、出身地も宮崎・神戸・愛知・静岡・神奈川・東京・千葉・埼玉・宮城・それにオーストラリアと多様でした。学校関係では松蔭女子学院(中・高生)、宮崎大学、東北福祉大学、名古屋学院大学、神奈川大学から、団体ではボーイスカウト連盟の数支部から、またB.B(バグダッド.ブリッジ)という平和市民団体、それに我らが中部教区センター職員と笹島人権センターメンバーの参加協働がありました。期間は、日帰りの人から最長2週間の人もいました。
宿泊は3人のOS常駐スタッフを含めますと、少ない時で4名、多い時は13名という日もありました。そういえば、震災の2週間後には、被災者支援活動と並行してOSを会場に2泊3日のサマーキャンプを総勢50名でやりきったものでした。
と、こんな具合でOSは2004年10月の<中越>と2007年7月の<中越沖>という二つの大震災による被災者支援の最前線で、多くの皆さま方の祈りに支えられ豊かにまたある時は忙しく用いられています。主に在って感謝のうちに!!
■活動最前線でOS拠点フル回転
中部教区HPや当「現地リポート」、また教区報「ともしび」等を通じて多くの皆さま方からお見舞い・激励・お祈り・支援物資・義援金・・・と多大なお恵みを頂いておりますこと、改めて厚く感謝御礼申し上げます。
東北教区の某日曜学校全児童からの<励ましのお手紙と献金>をはじめ、教会、学校、団体、市民グループ、サークル、個人・・・と幅広い方々からの問い合わせ、ボランティア参加がありました。
2007年7月16日地震発生当日のお見舞いと情報収集、飲料水提供等の緊急行動以降2ヶ月を経た今日まで、皆さま方のご協力と協働によりまして、多様な支援活動を続けております。
猛暑・残暑がつづく中、OS(長岡)から被災地に入り、災害ゴミ搬出、被災家屋での片付け、児童生徒との交流、仮設住宅への引越し、それにOSでの宿所提供・交流・・・等を行っています。
◎今回、OSは被災者支援のコーディネートと県外各地から駆けつけたボランティアへの宿所提供と活動の分かち合いを行いました。OSを活用したボランティアの皆さんについて少し報告します。
参加形態は単身参加から12人組のグループ、出身地も宮崎・神戸・愛知・静岡・神奈川・東京・千葉・埼玉・宮城・それにオーストラリアと多様でした。学校関係では松蔭女子学院(中・高生)、宮崎大学、東北福祉大学、名古屋学院大学、神奈川大学から、団体ではボーイスカウト連盟の数支部から、またB.B(バグダッド.ブリッジ)という平和市民団体、それに我らが中部教区センター職員と笹島人権センターメンバーの参加協働がありました。期間は、日帰りの人から最長2週間の人もいました。
宿泊は3人のOS常駐スタッフを含めますと、少ない時で4名、多い時は13名という日もありました。そういえば、震災の2週間後には、被災者支援活動と並行してOSを会場に2泊3日のサマーキャンプを総勢50名でやりきったものでした。
と、こんな具合でOSは2004年10月の<中越>と2007年7月の<中越沖>という二つの大震災による被災者支援の最前線で、多くの皆さま方の祈りに支えられ豊かにまたある時は忙しく用いられています。主に在って感謝のうちに!!
2007年7月16日「新潟県中越沖地震」現地リポート第10信
9月16日発信
■地震から2ヶ月を経て
震災直後には水道・電気・ガス等のライフラインが完全に止まり、また、鉄道・道路等もいたるところで寸断・不通で交通機関もマヒ状態となり、被災者のうち最大で12,483人が101ヶ所の小・中・高等学校の体育館等の避難所で緊急避難生活を余儀なくされました。2ヶ月前の7月16日〜17日・18日のことでした。
飲料水・トイレ・風呂・炊事・洗濯・食事等、水道・電気・ガスに大きく依存した生活は、即座に緊迫した非常事態となりました。被災住民はもとより、各地から駆けつけたレスキュー隊や医療従事者、ボランティアや災害復興支援チーム、それに自衛隊等が各々の専門分野での支援・救護活動に昼夜を分かたず取り組みつづけました。
そして震災発生から47日目の8月末には、三市町村(柏崎市・出雲崎町・刈羽村)での集団避難所生活から、37ヶ所967戸の仮設住宅での世帯単位(798世帯2227人)の避難生活に移行することができました。―(最終的仮設住宅設置計画は39ヶ所1007戸)―
■本格的復興=自宅再建に向けて
一応のプライバシーが確保される仮設住宅での避難生活がスタートした訳です。それは同時に798世帯2227人の被災者にとりましては、自宅再建に向けた本格的復興へのスタートでもあります。長い長い道のりになることでしょう。
【因に、3年前の中越地震(2004.10.23発生)の現在の被災状況はと云えば、つい先日の9月4日、旧山古志村の楢木地区と小千谷市の十二平地区で2年11ヶ月ぶりに電気が通り、全被災地での電気が完全復旧したばかりです。
避難生活につきましても、同じく山古志の木篭・楢木・梶金・大久保・池谷地区の人々を中心に、102世帯288人(8月末現在)が、自宅再建の日を待ち焦がれながら、未だに陽光台(長岡市)仮設住宅での避難生活をつづけています。
■地震から2ヶ月を経て
震災直後には水道・電気・ガス等のライフラインが完全に止まり、また、鉄道・道路等もいたるところで寸断・不通で交通機関もマヒ状態となり、被災者のうち最大で12,483人が101ヶ所の小・中・高等学校の体育館等の避難所で緊急避難生活を余儀なくされました。2ヶ月前の7月16日〜17日・18日のことでした。
飲料水・トイレ・風呂・炊事・洗濯・食事等、水道・電気・ガスに大きく依存した生活は、即座に緊迫した非常事態となりました。被災住民はもとより、各地から駆けつけたレスキュー隊や医療従事者、ボランティアや災害復興支援チーム、それに自衛隊等が各々の専門分野での支援・救護活動に昼夜を分かたず取り組みつづけました。
そして震災発生から47日目の8月末には、三市町村(柏崎市・出雲崎町・刈羽村)での集団避難所生活から、37ヶ所967戸の仮設住宅での世帯単位(798世帯2227人)の避難生活に移行することができました。―(最終的仮設住宅設置計画は39ヶ所1007戸)―
■本格的復興=自宅再建に向けて
一応のプライバシーが確保される仮設住宅での避難生活がスタートした訳です。それは同時に798世帯2227人の被災者にとりましては、自宅再建に向けた本格的復興へのスタートでもあります。長い長い道のりになることでしょう。
【因に、3年前の中越地震(2004.10.23発生)の現在の被災状況はと云えば、つい先日の9月4日、旧山古志村の楢木地区と小千谷市の十二平地区で2年11ヶ月ぶりに電気が通り、全被災地での電気が完全復旧したばかりです。
避難生活につきましても、同じく山古志の木篭・楢木・梶金・大久保・池谷地区の人々を中心に、102世帯288人(8月末現在)が、自宅再建の日を待ち焦がれながら、未だに陽光台(長岡市)仮設住宅での避難生活をつづけています。

